千葉県浦安市で鍼灸院をしているTENGEN院長です。
6月16日(土)に積聚会主催の講習会応用2コース、第3回目がありましたので行って来ました。
場所はお馴染み錦糸町にある積聚会事務局です。
今回の講義は、「意識」になります。
なぜ、鍼灸が効くのか?
鍼灸治療と一概に言っても様々な流派があり、それに伴い様々な理論があります。
西洋医学的な理論の方は、神経や筋肉などで考えますし、
東洋医学的な理論の方は、経絡や気血や蔵府などで考えていきます。
様々な考え方の違いがあれど、各治療方針でちゃんと治療効果があるという事です。
では何で考え方が違うのに一様に治療効果があるのでしょう?
何かそこには共通したものがあるのではないか?と考えていきます。
一例)
よくある例題として、足三里に鍼をすると胃が動く。というのがあります。
実際に足三里に刺鍼をして透視化のレントゲンで撮影をし、胃が動いているのを確認している実験があります。
では、なぜ足三里に鍼をして胃が動いたのでしょうか?
神経?筋肉?経絡?
どれが正解という証拠はない!
でも、足三里に鍼をして胃に影響を与えているのは事実になります。
鍼をした事によって影響を与えた見えないものを「意識」と呼ぼうとする訳です。
先程の共通するものとは意識ではないでしょうか?
西洋医学的な考えの治療家も
- 「このポイントに鍼(灸)をする事によって、筋肉が緩むのではないか!」
東洋医学的な考えの治療家も
- 「この経穴に鍼(灸)をする事によって、気血の巡りが良くなって痛みが無くなるのではないか!」
これは治療家本人が自覚している・していないに関わらず、そこに意識が働いている事になります。
積聚治療ではこの「意識」に着目して、意識を強化することによって治療効果を上げていこうと考えます。
*見えるものと見えないものを橋渡ししているのが「意識」!
意識とは
- 見えない力
- 能動的な作用
- 精気を伝える作用
どれも東洋医学の焦点になるものです。
東洋思想に基づいた考え方は、演繹的な発想になります。
では、演繹的な発想とは一体何でしょう?
演繹的と帰納的推論
推論には2通りの方法があります。
それが、「演繹法」と「帰納法」になります。
ではまず、「帰納法」から調べてみます。
もう少し具体的に調べてみると、
帰納法は、多くの観察事項(事実)から類似点をまとめ上げることで、結論を引き出すという論法です。帰納法では「納得感」が大事です。観察事項が適切でなかったり、少ない観察事項からむりやり結論を引き出そうとすると、「納得感に欠けてしまう」ことがあります。
今の西洋医学全般は、帰納的な推論になっていると思われます。
沢山の症状・症例から「病名」という結論を導き出す。
ですが最近では、症状なども個人によって多種多様化してきているので、それに伴って病名もどんどん増えてきています。
一つの例ですと、「風邪」の病名も、現代では個人によって症状の出方が違うので「風邪症候群」と呼ばれるそうです。
演繹法は、「××だから、○○である」という論理を数珠つなぎにしていき、結論を引き出す方法です。
「演繹法」は,ルール(大前提)から結論を導き出す思考の経路出典7. ロジカル(論理的)であることの条件
演繹的な推論は、まず前提として認めてから結論を導き出します。
前回の講義に出てきた、東洋医学は「気」の医学というのは、
そもそも「気」というルール(大前提)を認めてから理論をしていることになります。

意識の強化
集中力を養うのが、意識の強化に繋がります。
①委中穴(BL40)の刺入(1日1回)
刺入力が身に付くことで初めて鍼の威力が身に付く。
②站椿功(1日15分)
これは気功の基本姿勢の一つになります。
站椿功についてはまた別の記事で書きたいと思います。
③小周天
これは気功の呼吸法の一つになります。
小周天についてもまた別の記事で書きたいと思います。
④大周天
大周天についてもまた別の記事で書きたいと思います。
⑤臨床そのもの
人が集中力を高めていられるのも、限界があります。
治療時間が長くなると、それだけ集中力は散漫になってきます。
集中力を養っていくと、自ずと治療時間は短くなっていきます。
諸相
- 見ること(望診)
- 聴くこと(聞診)
- 問診
- 触ること(切診)
- イメージ(意識の投射)
実 技
実技はお互いに治療をしてから吸角の練習になります。
一にも二にも練習あるのみです!
ま と め
今回は「意識」の講義でした。
講義自体では、もっと意識についての深い内容があるのですが、私の文章力ではうまく伝えられる自信がなく、誤解を招く可能性もあるので、ここでは割愛させていただきました。
どうしても宗教的や哲学的な話になってしまうので・・・
先生もなるべく例題を出して具体的に話してくれましたが、「意識の内容の講義をするのは難しい!」と仰っていました。
講義の中でこんな話がありました。
「一般的には見えるまで信じない!」
しかし「あると信じるから見える!」
この言葉に東洋医学の気の概念が集約されているように思いました。
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